魅力を語ってみる

多木浩二『雑学者の夢』岩波書店
柴崎友香『ショートカット』河出書房新社
思うに、私がなりたい/目指したいのは、多木浩二氏のような批評家なのだろう。「雑学者」とタイトルにあるが、多木氏のような広範囲にわたる知識を身につけたいと願う毎日だ。多木氏のほかには、英文学者の高山宏氏のような知識の持ち主にかなり憧れる。こうした人たちは、広く浅くではないのだ。広く深い知識の持ち主だから憧れるのだ。専門家や学者は、狭く深い知識でも良いと思う。というか、特定の分野に関し誰よりも深い見識を持っているのが専門家というものなのだから。
でも、私はただ特定の分野の専門家というだけでは満足できない。飽きっぽい性格もあるが、もっと別の分野も知りたいと思ってしまう。で、どんどん興味が拡がって、能力のない私としては欲望ばかりが先行してしまい、収拾がつかなくなっている。これはこれで困ったことなのだが。要は、自分が納得できるように、日々勉強するしかないということだ。
以前読んだ『きょうのできごと』の柴崎友香は、かなりツボにはまった。なので、この『ショートカット』も期待できるだろう。私は、ドラマチックな物語よりも、日常の延長のような世界を淡々と綴る小説のほうが好きなのかもしれない。大きな世界を語る小説もたしかに面白いが*1、小さな世界もまた私にとっては重要な世界である。
以前の日記でも書いたことだが、柴崎友香の魅力は、会話にある。「ショートカット」の冒頭はその会話で始まっている。

「なあ、おれ、ワープできんねんで。すごいやろ」

私などは、こういう一節を読んだだけで、その世界に引き込まれてしまう。普段、私の周囲の人が話す関西弁のアクセントが耳に甦り、そのアクセントでもって、この会話を読んでしまうのだ。物語とそれを読む私との距離が、アクセントという音声を通じてかなり縮まる。物語が身近に感じるのだ。遠くで演じられる世界ではなく、すぐ近くで演じられている世界と言えばよい。それは、ある種のライブ感覚と表現できるだろう。私の中で、このような感覚が、会話によって生まれているのだ。私自身にとって、柴崎友香の魅力が会話にあるというのは、こういう意味のことである。

*1:たとえばドストエフスキーの世界の魅力をイメージしてもよい