大学院で研究すること

◆吉原真理『アメリカの大学院で成功する方法』中公新書
◆羅英均『日帝時代、わが家は』みすず書房
アメリカの大学院で…』は、昨日の日記にも書いた通り、大学院で研究することとはどんなことなのか教えてくれるし、またアメリカで研究職に就くシステムはどうなっているのかまで書かれてあり、アメリカで研究を目指す人にとってかなり有益な本だろう。
私は、とくに留学など考えていないけれど、読んでいてやっぱりアメリカの大学院はそれなりに充実しているなあと、ちょっとうらやましくなった。たとえば、日本の大学でTAすなわちティーチング・アシスタントという制度は有効に活かされているだろうか。私は文系なので、理系の事情は分からないけれど、TAが授業と担当するということは、日本の大学ではないのでは。(私の大学だけか?。)もちろん、TAの給料など本当に少なくて、とても研究の援助になるような額ではない。
アメリカの大学のように、大学院生時代にTAとして授業を受け持ったりする経験は、研究職に就いたときに非常に役立つのだろうなあと思う。アメリカのTAの制度は、いわばインターシップのようなものだなあと。実際に学生相手に教えてみれば、自分の適正も分かるし、研究への刺激にもなるだろうし。たしかに、実際に授業など担当したらかなりハードな研究生活になるとは思うが。でも、ただコピー取りぐらいしかやることがない日本のTAよりもはるかに良い。
あと、この前に日記にも書いたことと関連することで、アメリカでは大学院生も新任教員の採用に関して意見できるところもあるという。大学の内部事情について全部にアクセスできるわけではないが、日本の大学よりは情報開示がなされているという。それから教員募集は公募が義務づけられているとも書いてあった。話は逸れるが、アメリカでは履歴書に写真を貼らないとあって、これは良いことだなあと思う。履歴書の写真って、いつも変な顔に写るから嫌だ…。
私自身、この本から一つ学んだことをメモしておく。

博士論文を提出して卒業した後も、その先何十年という研究人生の中で、その研究をさらに続け、よりよいものにして発表する機会はたくさんあるのだ。博士論文の段階で完璧な研究などというのはまずあり得ないし、ましてや論文執筆中に各章がそれぞれ完璧に仕上がっていくなどということは、よほどの超人でなければない。(p.124)

これは、博士論文では完璧主義を捨てるほうがよい、ということらしい。論文をできるだけ良いものにする努力は当然しなければいけないのだが、完璧を求めていたら完成にはたどり着かないというアドバイスだ。このアドバイスは、けっこう良いと思う。
日帝時代、わが家は』は、日本の植民地支配の時代、日本からの解放、そして朝鮮戦争までの時代を背景に、羅景錫、螵錫兄妹の人生を語る。この二人は、日本に留学して勉強したりして、進んだ思想も持ち主であり、近代の知識人であった。が、近代的であったがための苦労というか、苦しみを味わされた。近代と伝統との狭間で、板挟みとなって苦しんだ知識人と言える。特に妹の螵錫の人生は、芸術家としての栄光と伝統的な家族制度に抑圧された悲惨さの両極端が交わっており、その晩年の姿は本当に痛々しい。
著者自身も直接経験している、後半の朝鮮戦争のころを語った章は、読み応えあり。