恥ずかしい、だけどやっぱり嬉しい

◆bk1with熱い書評プロジェクト『熱い書評から親しむ感動の名著』すばる舎【→参照ASIN:4883993477
◆『国文學』2004年5月号
『熱い書評から親しむ感動の名著』が今日届く。なんか自分の拙い書評が、こうして本に載ってみるとますます恥ずかしさを感じる。自分以外の書評が、みんな立派に見える。(実際、みなさんすばらしい書評を書いていらっしゃる。)もっと、きちんとしたものを書けば良かったなあと反省しまくり。照れくさい、けどやっぱり嬉しい。さっそく、研究室の人たちに読ませなくては!
今月の『国文學』の特集に引き付けられ、衝動買いしてしまった。特集は「レッスン・複合領域の文化研究」というもの。参考までに、収録された論文のタイトルを引用しておく。

「都市と建築のファシズム
「明治期戦争美術鳥瞰」
柄谷行人論−ブルトンと柄谷、ボロメオの環の手前で」
「フレーム論序説−小津安二郎の{活動}写真、あるいは芭蕉俳諧
「明治期出版社と著者のデリケート・バランス」
「草稿・テクスト、生成論の可能性」
「鴎外「大発見」・一〇八〇分」
「アニメ論−カレル・ゼマンジブリ
「隠喩としての人形−『蓼食ふ虫』と一九三〇年代の日本文化論」
「レトリックと植物園の政治学−「それから」に向けて」
「築地居留地と文学−外交史からのアプローチ」
「フィールドとしてのアジア/文学」
「はじめてのシナリオ制作授業」

うーん、タイトルをこうして並べてみると、一体なんの研究分野の雑誌なんだか分からない。これで、何が目的なのかイマイチ掴めない。これを読んでどうしてもらいたいのだろうか?。編集の意図が分からない。
この雑誌『国文學』は、ここ近年カルチュラル・スタディーズに注目したりしていて、この手のいわゆる学際的研究を特集することが多い。一方、日本文学研究界のもう一つの雄である『国文学解釈と鑑賞』は、忘れられた作家など時々ひっぱり出して特集したりしている。二つの雑誌の性格がはっきりしてきた。しかしながら、この二つの雑誌、なんだか迷走している感じ。
たとえば、雑誌ではないけれど、『社会を〈モデル〉でみる―数理社会学への招待』という本を本屋で立ち読みした。私は数字や数式を見ると卒倒しそうになるが、そんな私でも魅力を感じる本だった。思わず買ってしまおうか、と思ったぐらいだ。まだ目的もなく、どんな研究をしようかと迷っている学部生の頃に、もしこの本を読んでいたら…なんてことを考えてしまう。
というわけで、目新しいものの紹介も研究には必要だけど、そもそも自身が専門とする研究分野の魅力を少しでも読者に感じさせるような「特集」などを研究雑誌は取り組んでみたらどうだろうか。
話を戻して、二つの雑誌を比べてみて私が思うには、『国文學』のほうがやや面白いかなあということだ。『解釈と鑑賞』は、特集のサイクルが決まっているのか、ここ数年、2、3年おきぐらいで同じ特集をしたりして、退屈といえば退屈。もっとがんばれ、という感じがする。