80年代のつらさ

大塚英志『「おたく」の精神史』講談社現代新書ASIN:4061497030
今日、一日中読んで、ようやく読み終えた。80年代というものが、なんとなく分かってきた。たしかに、この本を読んでいると、80年代がつらい時期だったのではないかと思わずにいられない。
この本の特徴は、大塚英志の個人史という側面が目立つというところか。自身の仕事を通じて、当事者としての80年代を語る。自身の仕事を含めた批評となっている。これは注意しておいたほうが良いと思う。
遅れてきた世代としては、当時何が起きていたのか裏側が知ることができて面白い本だ。読みながら考えたり、引っかかった箇所とかあるのだけど、まだうまく自分のなかで整理がつかない。それはともかく、読後の印象を忘れないようにメモしておくと、80年代が、つらい時期だったのではないかと感じたのは、一つに「欠如」ともいえるような、とにかくあらゆるところで何かが欠けていた、という印象を受けたからだ。それは少女の内面を語る言葉であったりする。ところで、大塚英志が少女マンガとかそれにまつわる女性を論じるのは、そのサブカルチャーのなかでも男性=メイン/女性=サブカルチャーという階層があって、ようするに大塚自身が徹底してサブカルチャー側に身を置こうとするからだろう。つまり、女性はサブカルチャーのなかですらメインではなかった。やっぱりつらい時期だったのだ。
もう一つ、つらいなあと感じたのは、最終章で「エヴァンゲリオン」を論じた箇所。ここで、シンジはエヴァに乗り込むことから逃避しつづけるとあって、

それは浅田彰の『逃走論』の対極にある全く軽やかでないどうにもせっぱつまった「逃走」であり、奇妙に説得力があった。いっそ「主体」たることを受け入れた方がはるかに楽なのにシンジは徹底してそこから「逃避」するのである。

と書いてある。「主体」から逃げ続けなくてはいけないと、妙にせっぱつまった雰囲気が80年代にはあったのかなあと、この一節から思った。「主体」とか「自意識」というものが、急激に古くさいものになったのが80年代だけど、かといって別のものがない。やっぱりここでも何かが欠けているのだ。だから、直接的に体験していない私にはなんとなくつらいと感じる。