大島渚の映画で

数年前に大島渚の『日本の夜と霧』などの映画を見たことがある。学生運動が取り上げられていて、私などは、その頃のことを全然知らないので、映画の背景にどんなことが起きていたのか分からずにただ、その学生運動の雰囲気だけを感じていた。
で、学生運動などは、熱心に政治や社会問題などにぶつかっていく学生達なのだろうという単純なイメージを私は持っていた。そのイメージで映画を見ていたのだけど、たしかに学生達が妙に観念的な会話をするわけで、それはイメージ通りだったのだけど、一方で女子学生とのダンスパーティだとか熱心にやる学生もいた。そんな場面を見ていて、なんだ学生運動というのは、今で言う合コンに近いものだったのか、だから学生達は参加していたのかと思った。表では安保反対とかいろいろ正義感を剥き出しにして活動する一方で、運動に参加すること、というか運動の場所に集まるのは男女交流の場であって、大多数の学生が男女交際が目的だったのではないか、と映画を見た直後に考え、その世代(つまり団塊世代)にかなり怒り心頭だった思い出がある。思い出すと若かったなあと思うけれど。
こんなことを思い出したのは、昨今のデモの形態が変わったということがあったため。実は、昔も今も本質は変わっていないのではないか。昔はダンスパーティでフォークダンスを踊っていたが、今はそれDJが登場して、音楽を鳴らして踊ってみる。それが、今も昔も「運動」の形態だったのではないかと、いい加減な推測をしてみる。