その1
結局、考えてみると別に文学の価値が芥川賞で決まるわけではないので、それほど大騒ぎするほどのことではないのかなと。その後、二人の本の注文が増え、出版社では急遽増版するというニュースがあったけれど、このあたり文学もまた産業であるということ示しているのだろう。
産業として、文学を見た場合、こうした文学賞は他の作品との差異を生み出すわけで、差異を求めるのなら、若い作家のほうが「若さ」という部分で卓越化することができるので、「若さ」という部分で注目され賞をとってしまう(それだけの理由ではないだろうが)こともある意味合理的なのかなあと。
で、もしこうした流れの違和感を感じてしまうのは、やっぱり文学(あるいは芸術)をロマン主義的なものを追い求めてしまうからなのではないか。文学は個人の内面を表現する、そして天才だけが可能な表現行為なのだと思っていると、「若い」「小娘」なんかに「文学」なんて書けるか(まあここまであからさまではないにしろ)といった感想もなきにしろあらず。このあたりになると文学・芸術におけるジェンダーの問題として注目してよい。結局、なんだかんだ言っても、男性中心主義的な保守的なイデオロギーが垣間見えてしまう。(これは賞の審査員の中にも当然あるのだろうけれど。)