その2

つくづく感じるのは、研究者の道というのは極めて狭いということだ。毎年、たくさんの学生が大学院に入ってくるが、その中から最後まで残るのは一部で、その中のごく一部がアカデミックポストにつくわけで、そのごくごく一部になるには相当の実力と運がないといけない、と思う。だから、大学院に入りたいと思う人はよく考えた方がよい。後戻りのできない状態になってから、進路を変えるのは難しいのだから。
最近は、大学院に入るのは易しくなっている。大学側も学生の数を増やすために簡単に入学させるけれど、その後の面倒は絶対に見ないということをよく覚えておいたほうがよい。大学そのものが増えない以上、教師の募集も増えることは今後一切ない。むしろ研究者の数は増えても、ポストはますます減ると思う。けっして勉強が楽しいから、という安易な理由で進学するのはやめたほうがよい。
かつて大学はレジャーランドだ、と言われた。今でもそうかもしれない。しかし大学院だけはちがう、と思っていた。でも、大学院もレジャーランドとまでは言わないが、確実にカルチャー・スクール化はしてきているなと感じている。文学の研究をしたことがないけれど、文学に興味があるので、大学院で勉強したいという人まで入学するのが現在の状況だ。それも入るのは博士課程だ。無謀だと思う。入学してから、勉強してみますとあっけらかんと言う。それが今の大学院の状況なのだ。そういう人たちと一緒に研究を行わなくてはならないという現実がある。こういうことは今後避けられないと思う。もはや、大学院で専門的な研究を学ぶことは不可能だ。