野崎歓『谷崎潤一郎と異国の言語』

野崎歓谷崎潤一郎と異国の言語』人文書院
谷崎潤一郎と異国の言語』もある意味、言葉にこだわった分析をする。谷崎の文学を言語の翻訳という視点から読む、と言えばよいだろうか。異国の言語とは、外国語のことだし、谷崎にとっては関西の言葉もまた「異国の言語」ということになる。さらに広義にとれば映像言語も「異国の言語」ということになるだろうか。自分の言葉を「異国の言語」に翻訳して作品を書く。ある意味マゾヒスティックな行為とも言える言語操作に、谷崎は快楽を覚えていたのかも知れない。近年の谷崎文学の評論としては、かなり面白くて、研究にとって役立つ本。