高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』

高原基彰『不安型ナショナリズムの時代 日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由』洋泉社、2006年4月
ナショナリズムの問題を、日韓中の三国の社会状況を比較して論じる。この試みには興味を持ったが、議論の中身はちょっと留保。
この三国に共通しているのが、上からの「開発主義」的な高度成長と、その後に「社会流動化」という変化が生じていること、そして「高度消費社会」によるライフスタイルの変化ということだ。本書は、とりわけ「社会流動化」が盛んに強調されているのが特徴的だといえる。
「社会流動化」によって、特に若者あたりに、たとえば「雇用不安」のような、将来自分がどうなってしまうのかという不安が起きた。本書ではこれを「個別不安型ナショナリズム」と呼んで、自国の経済成長を賞揚する「高度成長型ナショナリズム」と区別すべきだと主張される。こうした問題は、本来国内問題であるはずなのに、国内に目を向けずに、国外に敵を転移させてしまった。これが、反日とか嫌韓中といった動きに見いだせるということらしい。
「歴史問題」は、国内問題から目を逸らすための疑似問題にすぎない。したがって、「ナショナリズムに関する議論は、特に日本において、ベクトルを国内問題に向け直す必要がある」(p.242)と述べられている。
最後に著者は、「今東アジアの各国で噴出しているナショナリズムのかなりの部分は、基本的にナショナリズムと別次元で生じた問題のすり替えでしかないように、私には見える」(p.246)と書いている。結局、ひとり一人が「社会流動化」に耐えられるような強い個人になれば、反日だの嫌韓中といった動きは収まるだろうということか。