ベンヤミン『複製技術時代の芸術』

ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』晶文社、1999年11月
ベンヤミンを読むのは苦手なのだが、時々ハッとさせられる箇所が出てくるので面白い。
「複製技術時代の芸術」からのメモ。
芸術作品の一回性は、伝統との深いかかわりから抜けきれない。芸術作品と伝統の深い関わりは、その礼拝的側面をみれば明らかだ。要するに、アウラは儀式の道具としての機能があった。したがって、「ほんもの」の根拠は儀式性にあり、これこそが芸術作品の本源的な利用目的だった。
しかし写真の登場でガラッと変化が起きる。写真という複製技術の登場は、やがて芸術の危機をもたらす。そこで、「芸術のための芸術」という芸術の神学の教義へと逃亡することになる。
複製技術の登場は、儀式に寄生しているという芸術作品を解放した。複製が行われはじめると、はじめから複製することをねらった作品が作られるようになり、芸術作品の制作に際し、真贋の基準がなくなる。したがって、「芸術は、そのよって立つ根拠を儀式におくかわりに、別のプラクシスすなわち政治におくことになるのである。(p.20)」
最後の、真贋の基準が「政治」に置かれるようになる、という指摘が面白いなと思う。

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)