『コーラン』

◆『世界の名著17 コーラン中央公論社、1979年4月
比較文学という専門分野は、しばしば言われるように、比較文学は狭義の「文学」だけを研究していてはダメで、「文学」の背景となる「文化」も同時に研究しなければいけない。つまり、比較文学とは比較文化の研究でもある、と言われてきた。そういうわけで、宗教なども知らないよりは知っておいてほうがよい。宗教と文化は密接に結びついているのだから。
また「比較」という方法は、どんな分野でも同じだろうけれど、比較する対象が多ければ多いほど、面白くなる。その分苦労も多くなるけれど。2つの対象を比較するより、3つの対象を比較すれば、もっと多くの知見が得られるのではないか、とも思う。これは、なにも比較文学に分野に限らないが、研究者というのは自分のなかに「引き出し」を多くもっているほうが良いのでは、と私は思うというか信じている。なので、自分の研究とはまったく関係がない勉強をするのが好きだ。
きょう読んだ『コーラン』も、今の自分の研究とはまったく関係がない。ただ、『コーラン』って一体何が書かれているのだろうという、素朴な好奇心で読んだだけだ。というか、本当のところは、最近猛烈に「世界の名著」シリーズに魅力を感じているのだ。このシリーズに収められている作品を全て読みたい!。そんな欲望に取り憑かれている。
さて、『コーラン』を読んだ感想は次のようなものだ。ここにはまず、ああしなさい、こうしなさいといった規範を述べていることが多かった。『聖書』のような物語を期待していただけに、はじめのうちはとまどう。だけど、『コーラン』も『聖書』も根は同じなのだから、同じ物語が出て来るのだ。こういうことを分かっていても、実際読んでみて、それを発見すると面白い。神は何でも知っている、神を畏れよ、というのが繰り返し出てくる。このモチーフが、基本になっているのだろうなあと漠然と考えた。じっさいに読んでみると、かなり面白い本だ。とても良くできた本だと思う。

コーラン〈1〉 (中公クラシックス)

コーラン〈1〉 (中公クラシックス)

コーラン〈2〉 (中公クラシックス)

コーラン〈2〉 (中公クラシックス)