ウォン・カーウァイ『天使の涙』

◆『天使の涙』監督:ウォン・カーウァイ/1995年/香港/96分
恋する惑星 [DVD]
久しぶりに見た。『恋する惑星』のモチーフが至るところにちりばめられていて、どっちかというと『恋する惑星』が好きな私はニヤニヤしてしまう。
はじめて見たときから、この映画のラストシーンが強く印象に残っている。殺し屋のエージェントの女と、口の聞けない男がバイクで走っている。タバコの煙がふっと舞う。この一瞬の煙の映像がすごく好きで、ここだけでも繰り返し見たいと思うほど。
冒頭、エージェントの女が歩くところがある。ヒールの甲高い音が、人のいない地下内を響く。女が歩く音で始まるのは、たしか『欲望の翼』のマギー・チャンだったのではと思い出す。猥雑な都市を「歩く」ことは、ウォン・カーウァイのなかで重要だと思う。「歩く」ことで、物語は始まるのだし、「歩く」ことによって、人は誰かとすれ違う。この映画のテーマの一つが「すれちがい」にあって、それは口のきけない男(金城武)がつぶやくことでもあるが、「すれちがい」は「歩く」ことと切り離せない。
殺し屋の男は、エージェントの女が示す通りに歩き「仕事」を実行する。男は繰り返しつぶやくように、ただ言われたとおりに実行するだけだ。女が歩いたとおりに男が歩く。
また、逆にこのエージェントの女は殺し屋の男が通うバーに行き、男が常に坐る椅子で孤独に過ごす。女もまた男と同じ行為をする。同じ道を歩くこと、同じ椅子に座ること。それが二人の「愛」の行為である/あったといえる。
この「椅子」の主題は、のちに口のきけない男のシーンでも登場する。それは、この男の父親が亡くなる場面だ。亡くなる前、男は父親の姿を執拗に追いかけてビデオに収めた。
ところで、カメラを向ける行為と銃を向ける行為がある意味似ているので、このカメラを父親に向けるというのは、深読みすれば、息子による父殺しと言えなくもない。これは精神分析的な読みになってしまうので、私は好きではないが、男が父が亡くなって「大人になった」とつぶやくのは一つの証拠としてあげられる。
話を戻すと、実は父親が生前、男が撮ったビデオを深夜にこっそり見ていた。そして照れくさそうに喜んでいる姿を男は覗いていた。男は父親が亡くなったとき、そのビデオを繰り返し見るのだが、そのテレビの前にはかつて父親がビデオを見ていたときに座っていた椅子が置いてある。これは父親の不在を強く印象づける。その椅子に息子である男が座りビデオを見る。こうして息子と父は同一化したといえる。これもまた先ほどとは異なる「愛」の一つの形であると言えるだろう。
ほかにも「水」あるいは「雨」の主題も指摘できる。「雨」は男と女の出会いをもたらすが、また別れももたらす。二重の意味を担う「雨」が降る。
しかし、この映画は最後のシーンだけを見れば充分だなあと思う。明け方の都市を男と女がオートバイで疾走する。女は男の肩に顔をのせている。煙が漂う。それで良い。

天使の涙 [DVD]

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