じっくりと読むはずが

ヘーゲル『法の哲学』中央公論社
じっくり読もう、と宣言したのだけど、結局、昨日と今日で読み終えてしまった。だめだ、後半部になってかなり理解不能な箇所が出てきて、ついついいつもの癖でそのまま読み進めてしまった。じっくり読むのだから、分からないときは立ち止まって少し考えてみる、なんてことをやっても良かったのかもしれない。本を読み出すと、どうしても最後まで一気に読みたくなってしまう。途中で分からない箇所があっても、最後まで読み通したら理解できるのかも、という期待があるからだ。で、いつも理解できずにいるのだけど。
この本は、大きく分けると、まず緒論があり、そして第一部、第二部、そして第三部となる。第一部は「抽象的な権利ないし法」、第二部は「道徳」、第三部は「倫理」となる。そして、さらに各部も三つの章に分れている。第一部では、第一章「自分のものとしての所有」、第二章「契約」、第三章「不法」。第二部は、第一章「企図と責任」、第二章「意図と福祉」、第三章「善と良心」。そして第三部では、第一章「家族」、第二章「市民社会」、第三章「国家」というふうに構成されている。目次を見ると、さらに章のなかでもA、B、Cの三つの節で構成されているところもあるように、とにかく気持ち悪くなるぐらいきっちりと構築されている。この潔癖さはいったい何なのだ?と。
さて、通読してみて、私がなんとか理解できそう、面白そうと感じた箇所は、緒論と第二部の道徳の箇所ぐらい。他は、ちょっと難しい、というか法とか国家という話は毎度のことながら苦手。社会科学系の基礎知識を身につけないと。
けっきょく、ヘーゲルとしては特殊性=個人(いや家族)を普遍性=国家とぴったり一致していることが、理想なのかなあと思う(まちがっているかもしれない)。時折カントが批判されていて、「物自体」なんてあるわけないだろう!と書いている。それにしても「即自かつ対自的に……」という言い方が、しつこく何度も登場するので、口癖になりそう。