青春の後に来るのは何だろう

三浦雅士『青春の終焉』講談社
思想とか文学というのは、青春なんだ、ということだろうか。青春が終焉したから、いまでは思想も文学も流行らなくなってしまったのか。
では、思想や文学を支えてきたとも言える青春とは何だろう?それは、こういうことだ。

青春の規範とは根源的かつ急進的に生きることにほかならなかった。近代の過程で、この青春の規範は、表現行為のほとんど全域を席巻したのである。革命の挫折も、恋愛の挫折も、その裏面にほかならなかった。むしろ、この裏面によってもたらされる苦悩と絶望こそが、青春の主題を形成するにいたったのである。(p.438)

根源的かつ急進的であること。自己言及のパラドックスに現れるような、自分自身ですら破壊せしめるような表現行為。青年は、せっかちで自己破壊的なのだろう。「失うものは何もない」ところから常に出発するのが青春だった。若い、いや未成熟であるからこそ青春が機能していたのだろう。1960年代を境に、青春がリアリティを持てなくなったのは、社会が若さから脱し、成熟に至ったからであろうか?
扱う範囲が広いので、読むのがかなり大変だけど、私には参考になる点が多い評論だった。