実はこの漫画を読んだことがない

四方田犬彦白土三平論』作品社
プーシキン『オネーギン』岩波文庫
白土三平論』、私のなかでは70点ぐらいか。面白いけれど、欠点は長すぎるところ。白土三平についての初めての本格的な評論ということで、取り上げたそれぞれの物語の筋を詳しく紹介しなければならなかったのは仕方がないのかもしれないが。でも、筋を要約している部分を読むだけで疲れてしまう。
基本的に作家論である。なので、白土作品に大きな影響を与えたものとして3つの出来事を挙げている。一つは父親岡本唐貴との関係。2つめは戦時中の疎開先信州での経験。3つめが30代で体を悪くし、療養のために移り住んだ房総半島での生活。これらが作品に反映しているということが、この論の一つの流れだ。
漫画史についての知識は、大塚英志の本によるものぐらいしかないのだけど、大塚英志だと「アトムの命題」というものを掲げているように、手塚治虫が日本の漫画史を形作ってきたような感じになる。もちろん、白土三平の手塚の影響を受けている。だけど、この本を読んでみると、白土作品が他の漫画家に影響を与えていて、これは白土三平がよく読まれた60年代に限らない。ということは、漫画史はなにも手塚治虫を中心にしなくても、白土三平を軸にした漫画史というのも描けそうだなあと思う。というのも、大塚英志は「身体」に注目して論じるけれど、白土三平の作品においても「身体」が重要だろう。だから、この本でももう少し白土作品における「身体」のあり方を論じて欲しかったなあと思う。
『オネーギン』を読みながら思ったことは、この悲恋の物語に対しなんの感興が湧かない自分自身がひどく心が荒んでいるのではないか、ということだ。
オネーギンは田舎の娘タチヤナに惚れられて、熱烈な手紙を貰うのだけど、ぱっとしない女性だったので振ってしまう。ひょんなことからオネーギンは親友と決闘することになり、その親友を殺してしまう。その後、上流の社交界でタチヤナは侯爵夫人となっている。それを知ったオネーギンはいてもたってもいられなくなって、はじめとは逆にタチヤナに迫るがタチヤナは敢然とその申し出を断る、というのが大体のあらすじ。
こう要約してしまうと、オネーギンがどうしようもない男だなあと思われるかもしれない。その通りで、たしかに日和見な男というか、私にはダメな男にしか思えない。なんとも情けない話だなあというのが私の感想。こういう感想しか抱けない自分が、もしかして荒んでいるのかなあと思った次第。