渓内謙『現代史を学ぶ』

マックス・ヴェーバー社会学の根本概念』岩波文庫
◆渓内謙『現代史を学ぶ』岩波新書
『現代史を学ぶ』は、『歴史学ってなんだ?』の中で触れられていた本なので、図書館で借りて読んでみた。
ソ連現代史研究家の著者の経験を語っている本で、その内容は、歴史学のみならず他の学問でも参考になるのかもしれない。
私が珍しいなと思った箇所は、「研究は孤独だ」と書いているところだ。最近、こうした意見をあまり聞かなかったので。とは言っても、人付き合いをするな、ということではなく、論文執筆中は他人の研究書に惑わされず、自分の対象とする史料との格闘に集中したほうがよい、という。もちろん、先行研究にあたるな、ということではなく、たとえばテーマを決定する時、それから研究が最終段階に入ったときなどに、読むのが良いだろうとのこと。こういう意見は新鮮に感じられた。
というのも、私の周りでは「先行研究を読め」という声が多いからだ。ゼミや研究発表会になると、必ず誰かが「先行研究にあたっていますか」とくだらない質問をする。それに学生のほうが萎縮してしまっているのか、やたらに先行研究を集めて、そればかり読み、あげくは先行研究に気を遣い過ぎていて、研究の中身はほとんど先行研究の要約でほんの少し、それと違う意見を述べる、という研究発表が多くてうんざりしていた。先行研究を読むことが研究だと勘違いしているのでは、と思うほどだ。
私はそういう雰囲気が、どうもおかしいと最近感じている。なので、先行研究なんてたくさん読めばいいものではない、一度全く読まずに論文を書いてみろと言いたいなあと思っていた。
本書では、次のような話が面白い。

フランスでの長期の研究生活から帰国した科学者飯山政道が、日本人研究者は誰がどこでどういう仕事をしたかに詳しいが、ヨーロッパでは研究者は日本人ほど既成の研究を知らないし、そのことを別に意にとめないと書いています。かれらは「研究進行中はあまり、文献に気を配らない。文献をこの段階で見るのは、何か難問につき当たって、どうしても解決策がみつからない時位である」「ぼつぼつ自分たちの仕事に目鼻がつきだし、自分の意見を確立しはじめると、かれらはかなり真剣に文献を検索しはじめる。そして自分の見たこと、解析したことの独創性の自覚を強めるのである」。

研究史を研究するのならともかく、まず自分のアイデアを史料と格闘して確立すること。研究が孤独だ、というのは格闘の間は誰にも頼れない、という意味だ。とても重要なことである。私の場合なら、とにかく文学作品に集中することが必要なのだと、肝に銘じる。
ところで、日本人の研究者が既成の研究に詳しいについて関連することとして、北田暁大さんの「はてな」で「儀礼的関心」の話があったこと*1
それから、本書のなかで、日本人は日記をつけるのが好きな国民だと言われいた、とりわけ第2次大戦中では、日本人兵士の遺棄した日記が日本軍の行動を探るのに役立った、とほんの少しさりげなく書かれてあったが、これは本当なのかどうか。とすると、インターネットで普及して以来、個人ホームページでは日記を書くことがメインで、最近はブログの登場とその流行との関連が気になるところ。