最近、大塚英志が気になっている。時間ができたら読み直そうと。たとえば、まんがにおける記号的な表現で現実的身体を描かなくてはならないという手塚治虫の命題。あくまで勝手な推測だけど、これは一種の天皇論と読み替えることができるのかなあと。で、そんなことを考えていたら、もしかすると三島由紀夫は記号的に表される「天皇」に我慢ならなかったのかなあと考えてみたりする。三島が身体にこだわったことをもう一度辿り直す必要がある。その時、大塚英志の批評が一つの補助線として引けるのかもしれない。