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昨日の日記で、綿矢りさの芥川賞に一人ほくそ笑んだのだけど、いくつかネット上で今回の芥川賞について書かれてある文章を読むと、文学のアイドル化のようなことが指摘されている。作家の年齢(二人とも最年少受賞)とビジュアルの面に言及がされており、暗に「文学」はやっぱり終ったのだという嘆きが感じられる。要するに作家や作品が賞に値しない、ということを問題にするのではなく、作家や作品の外部(つまり「文学」という制度)に対する批判をしているのだろう。したがって、たとえば『蹴りたい背中』のどの部分が良いのか悪いのか、といった言及が私見の範囲では見当たらないのが残念でならない。
問題なのは「批評」なのではないか。「(純)文学」は死んだ、に近い言説がある一方で、たとえばライトノベル系の小説に「萌え」などと言って、サークル感覚の過剰な思い入れの混じった自閉的な批評がなされる。こうした対立が文学を語るとき、裏に隠れているようでどうも嫌な感じがする。
純文学もライトノベルも両方面白いと思うのだが…。キャラに萌えだとか、ストーリーが社会学の理論に通じるだとか、そういう批評で満足していてよいのだろうか。