◆『裁かるるジャンヌ』(1927年)

監督・脚本・編集
カール・テオドア・ドライヤー
出演
ルネ・ファルコネッティ(ジャンヌ)

よく言われることだが、この映画は全編「顔」の映像の映画である。「顔」の詩学と言える映像が続く。ドライヤーの映画というのは、いつも不思議な映画と感じるのだけど、この映画もまた不思議な魅力に満ちている。見ればすぐに分かるのだけど、ほとんど画面を覆っているのは人々の顔のクロースアップであり、一番印象的なのはもちろんジャンヌ(=ファルコネッティ)の眼を大きく見開いた「顔」である。
この映画は、無声映画で状況の説明には字幕が挿入される。だが、こうした言葉以上に「顔」は様々なことを語りかけてくる。表情の持つ意味の多様性は、もちろん日常生活でも実感できることだろうが、この映画で驚くのは、その「顔」に可能な限り接近しており、そしてクロースアップされた「顔」には、その「顔」の皺といった肌の質感など、非常に微細なところまではっきりと映し出しているということだ。これは、映画のカタログのほうに書いてあることだが、俳優はメイクをしていないらしい。単に泣くとか怒っているといった表情のレベルのみならず、「顔」の物質性がもたらす意味の多様性に私は「顔」の美学というものを感じるのだ。そのような意味で、この映画は「顔」の詩学だと言えるのである。
それから、このドライヤー特集のカタログはよく作られている。とりわけ、日本におけるドライヤーの映画の上映記録、ドライヤーに関する邦文文献の一覧まで掲載されており、映画研究者にとっては使えるカタログと言える。
大阪での上映は、今日から始まったのだけど、けっこうたくさんの人が見に来ており驚いた。