8月の読了本

・A・W・コーンハウザー(山口栄一訳)『大学で勉強する方法』玉川大学出版部、1995年9月
→ごく一般的な勉強法。特別な勉強法ではなく、やはり昔ながらの地味な勉強法がよいのかもしれない。
池谷裕二『進化しすぎた脳』講談社、2007年1月
→面白い。脳は正確な記憶が苦手だ、というのが目から鱗。だから暗記するのが大変なのか。
・徳井厚子『日本語教師の「衣」再考―多文化共生への課題―』くろしお出版、2007年4月
日本語教師が陥りやすい思考をもう一度見直してみようという試み。自己の実践を常にクリティカルに捉える姿勢に共感を覚える。しかし、「多様性」を重視しすぎる傾向がある。教育や異文化コミュニケーションにおいて、「多様性」という視点が重要であることは認めるが、とはいえ「多様性」に落とし穴はないのか。
仲正昌樹『ネット時代の反論術』文春新書、2006年10月
小谷野敦『すばらしき愚民社会』新潮文庫、2007年2月
→これらの本を読むと、ネットに文章を書くのはやめておいた方がいいのかなと反省してしまう。
山田ズーニー『話すチカラをつくる本』三笠書房
山田ズーニーの本は、どれも似たり寄ったりの内容だなあ。
堀江敏幸『雪沼とその周辺』新潮文庫、2007年8月
→すばらしい。どの物語も味わい深い。読むべし。
寺山修司『さかさま恋愛講座 青女論』角川文庫、1981年3月
→青年に対して「青女」ということで、寺山の女性論というか女子論というべきか。女性の生き方を説く。
小谷野敦『性と愛の日本語講座』ちくま新書、2003年6月
→冒頭、「パートーナー」という語について語られている。自分の夫や恋人を「パートーナー」と呼ぶ女性がいるが、それは変だという話。たしかに、「パートーナー」と聞くと変な感じがする。最近では「相方」なんていう言い方をする人がいるが、個人的には、この「相方」という言い方のほうが気持ち悪いなあ。――私(俺)には恋人がいるのは当然といった意識が透けて見えるので――
・萩野貞樹『旧かなづかひで書く日本語』幻冬舎新書、2007年7月
→旧かなのほうが合理的なんだと思った。日本語の歴史を考えれば当然の話だけど。
蓮實重彦『表象の奈落 フィクションと思考の動体視力』青土社、2006年12月
→批評論集。最近は、抽象的な本を読んでいないので、この本を読むのはけっこうつらかった。完全に思考の「動体視力」が失われてしまったなあと反省させられる。
中島義道『私の嫌いな10の言葉』新潮社、2000年8月
中島義道『私の嫌いな10の人びと』新潮社、2006年1月
→面白い。これぐらいスパッと人生を割り切ってしまうほうがいい。