平野啓一郎『マチネの終わりに』

平野啓一郎『マチネの終わりに』文春文庫

6章での急激な転換に、ご都合主義的なストーリーを感じて興ざめしてしまう。そもそも主人公二人の設定自体が浮世離れしているのだが、それにも関わらず小難しい芸術論や社会批判(手垢の付いたリベラル思想)を語っていて、それも読んでいてうんざりしてくる。小説を書きたいのか、作者の知識を自慢したいのかわからない。

登場人物、特に主人公の二人に主体性というものを感じられない。結局、ずっと周囲に流されているだけなのだ。何か障害が起きたときに、それを解決するために自分たちが何かをしようとしただろうか。主体的であったのは脇役だけだろう。主人公たちは自分では何もできない。周囲の人間か、時の流れによってあいまいに解決していくだけだ。だから、本当に二人が愛し合っていたのかがわからない。ただ単に過去の思い出が美化されて、郷愁に浸っているだけなのではないかと思う。本当に二人が愛し合っていたとするならば、もっと他の人生がありえたし、それも特別難しいことではなかった。だが、それをさせまいとする作者の底意地の悪さをすごく感じる。その意地悪さは、物語上の必然性というよりも、単に作者が自分の考えた通りの展開にしたかったからだけなのだ。作者の設計図通りに登場人物が動いているとしか思えないストーリー展開。これは小説としては致命的だと思う。 

マチネの終わりに (文春文庫)

マチネの終わりに (文春文庫)