張競『海を越える日本文学』

「おわりに」のところを読んでいたら、三浦綾子はかつて東アジアで非常に人気があったと書いてある。ところが、日本では三浦綾子の文壇的評価が低かったという。芥川賞直木賞といった文学賞をもらっていないと。一方、同様に文学賞とは無縁の村上春樹は、メディアや批評家にもてはやされ、三浦とは異なる扱いを受けている。それはどうしてか? 著者は「村上春樹は欧米人に褒められているから」だと主張する。三浦は東アジアで人気があるとはいえ、欧米では認められていない。だから三浦の文学は「本物ではない」とわれわれ(著者を含めた日本人)は受け止めている。つまり、われわれは未だに欧米の影から一歩も抜け出せていないのだと著者は言う。
たしかに、村上春樹が欧米で評価されたことで、日本での評価もあがったのかもしれない。(調べていないのでわからないが。)また欧米の影響から抜け出せていないのも確かなことかもしれない。しかし、正直にいって三浦綾子の作品はそれほど評価できるものではないだろう。単純に作品の出来から見て、三浦は文壇的評価は得られないと思う。これは欧米の評価とは関係ない。