平野啓一郎『顔のない裸体たち』

平野啓一郎『顔のない裸体たち』新潮社、2006年3月
悪くない小説だが、テーマは新鮮さを欠いている。小説の最後は、「「ま、『頭隠して尻隠さず』やな。」/しかし、これはどうも、あんまり当たり前過ぎるというので大した評判にはならなかった。」(p.155)という一文で結ばれているのだが、この言葉は、この小説そのものの評価のように思えてならない。
教師としての平凡な表の顔と、歪んだ性格の男との性的快楽に溺れる裏の顔を持つ女性。こうした設定ですぐに思い出したのは、私の好きな小説『シンセミア』だ。「松尾丈士」と「広崎妙子」の関係と<吉田希美子>と<片原盈>の関係は似ている。なので、どうしても比べてみたくなる。そうすると、阿部和重の断然書き方が上手いなと感じる。やはり、平野啓一郎が本作では「表/裏」「本当の私/虚構の私」といった、ネットを主題にしたときによく持ち出される二項対立にこだわっているからではないだろうか。おそらく、阿部和重にはそうした二項対立はない。少なくとも、『シンセミア』はない。ここには情報化社会に対する二人に作家の認識の差が現れていて興味深い。平野のロマンチックな認識は、私には「当たり前過ぎる」と感じられる。

顔のない裸体たち

顔のない裸体たち