吉村公三郎『誘惑』
◆『誘惑』監督:吉村公三郎/1948年/松竹大船/85分
原節子、佐分利信、杉村春子が出演。佐分利信は政治家役で、彼の恩師の娘役を原節子が演じる。父の死によって、久しぶりに再会した二人が、やがて恋愛に陥る。だが、佐分利信には胸を病んで療養所の入院している妻の杉村春子がいた。要するに、不倫ものの物語だ。
この作品でもやはり「海」が登場している。杉村春子が入院している療養所が、「海」のすぐ近くにあるのだ。この「海」を家族で散歩している時に、佐分利信と原節子の関係に只ならぬものを杉村春子が感じる。これが伏線となって、物語の終盤で、とうとう佐分利信と原節子の関係が、杉村春子にばれてしまう。このショックで、杉村春子の病が悪化しそのまま亡くなってしまう。
この場面は、なかなか秀逸だった。夜おそく帰宅した佐分利信と原節子。書斎で、佐分利信はとうとう原節子への思いが強まり、原節子に迫る。原節子は困惑しつつも佐分利信を受け入れてしまう。ちょうどその瞬間、ドアが開き、そこに立っていたのが家に戻っていた妻の杉村春子だった。この時の杉村春子が異常に怖い。恐怖映画のような映像で、杉村春子はほとんど幽霊なのではと感じるくらい迫力があった。これはすごい。
さて、本作にはもう一つ絶対に見逃すことが出来ない、日本映画史に残る名場面がある。一番最後の場面だ。原節子は、佐分利信との関係を諦めて、一度は友人の田舎へ行くことを決意するのだが、死の間際の杉村春子に許され、子供たちの面倒を頼まれた結果、佐分利信との愛を貫くことを決意する。雪がぱらつく中、佐分利信の家に戻ってきた原節子は、佐分利信の部屋の窓をコンコンと叩く。その音に気が付き、窓を開ける佐分利信。笑顔の原節子が、まるで子供が親に「抱っこ」をねだるように、両腕を佐分利信に差し出すのだ。そして佐分利は原節子を抱き上げて部屋の中に入れるところで終わる。原節子の「抱っこ」のしぐさが、ものすごくかわいらしい。古今東西の映画で、これほど魅力的な動作があったであろうか。原節子の「抱っこ」によって、この映画は非常に価値ある作品になったと言って良いだろう。