笙野頼子『二百回忌』

笙野頼子『二百回忌』新潮社、1994年5月
「大地の黴」「二百回忌」「アケボノノ帯」「ふるえるふるさと」が収められている。どれも難しい。どう読んだらいいのか。笙野頼子の作品をいくつか読んではきたが、いまだに何を手掛かりにして読んだらいいのかが分からない。
たとえば本のタイトルにもなっている「二百回忌」は、単なる家父長制批判、「家」批判の物語とすれば良いのだろうか。この物語の語り手「私」の父方の家では、「二百回忌」のときに、死んだ身内やらゆかりの人やら、みんな甦って参加する法事なのだという。ここで何が起きるのかというと、「支離滅裂」なことばかりなのである。この「二百回忌」は「無礼講」であることが身上なのだ。滅茶苦茶なことをするといっても殺人をしたりするわけではなく、「全てめでたくし、普段と違う状態にしなくてはならない」という。とにかく「常軌を逸する程華やかでなくてはいけない」。
というわけで、本家に行き「二百回忌」がはじまると、死者や生者が入り交じり、なんだかよく分からない状態になってしまう。この訳の分からない、滅茶苦茶な空間が読んでいてすごく面白いのではあるが。しかし、これを何の物語とまとめたらよいのだろうか?

二百回忌 (新潮文庫)

二百回忌 (新潮文庫)