増村保造『氷壁』
◆『氷壁』監督:増村保造/1958年/日本/97分
原作は井上靖。主人公の魚津は、友人の小坂と二人で、穂高の北壁を登っていた。しかし、そこで、切れるはずのない命綱であるザイルが切れて小坂が転落して亡くなる。切れるはずのないザイルが切れたとのことで、この事故に世間の注目が集まる。小坂は自分でザイルを切った、つまり自殺ではなかったのか。
物語では、この登山の前に、小坂が交際していた八代夫人との別れを描くことで、こうした世間の心ない憶測に、一つの根拠を観客に示しているが、結局真相は分からない。友人を失った魚津は、再び山に向かう。この登山が終わったら、小坂の妹と結婚する約束をした。しかし、魚津は、小坂と八代夫人の別れ話の問題を解決しようと奔走するうちに、八代夫人と知り合い、やがてどうやら二人は互いを意識し始めてしまっていた。
たとえば、八代夫人は、小坂が亡くなった時、小坂の家を行き、そこで妹と話をする場面がある。この時、八代夫人は兄を愛していたと信じていた妹が、小坂の写真を夫人に渡そうとして、写真を見せる。夫人は、小坂が一人で写っている写真ではなく、魚津と小坂が一緒に写っている写真を選ぶのだ。小坂の妹は、それを激しく拒否する。なぜなら、妹は魚津のことが好きだったからだ。魚津の写った写真を選んだ八代夫人に、妹は以後警戒することになるだろう。もしかしたら、八代夫人と魚津の間には何かがあるのではないかと。八代夫人のほうから見ると、魚津が写った写真を選んだことにより、どうやら魚津の存在が大きくなっていったようなのだ。
魚津も夫人も互いに意識しあうが、魚津は潔癖な性格なために、夫のいる八代夫人との交際を自ら禁じることにする。八代夫人への思いを一切断ち切り、小坂の妹と結婚するために、山へ向かったのだ。だが、魚津の運命は、友人小坂と同じ道をたどることになるだろう。山は、神なのだ。許されない関係に踏み込んだ男二人(魚津と小坂)を許さない。小坂と魚津の死は、厳格な山(自然)による死の制裁とも思える。
さて、この映画の物語は、以上のようにまとめられる。次に映像面において気が付いたことをメモしておこう。
本作の特徴は、人物を背中から撮ることが多い、ということだ。これは、冒頭の場面から一貫している。タイトルが現れる冒頭場面では、魚津が山を歩いている場面だが、ここでは魚津の顔を写さずに、魚津の背中の大きなザックが目に付く。タイトルが消え、場面は一転して、町の中に変わる。ここでは、まるで登山のつづきのように、魚津の歩いている姿を背中から捉え、大きなザックが目に付くようになっていた。
人物の撮り方について、もう一つ特徴的なのは、カメラが斜め上あるいは斜め下から人物を捉えることだ。斜めの構図とでも言うのだろうか、人物を真正面から撮るのではなく、急な角度をつけて捉えていることに注意したい。斜めの構図は、しばしばスタイリッシュな映像の作品に現れることがある。本作では、斜めの構図によって、空間に緊張感を漂わせている。
先ほど、人物を真正面から撮ることがないと述べたが、実はこれは正確ではない。映画のラストシーンで、一瞬だけカメラが正面から人物を捉えていた。その人物は八代夫人である。
魚津の遺骨が、故郷に帰る。それを関係者が、駅で見送るというのがラストシーンだ。この場面に、ひっそりと八代夫人が姿を見せる。見送りが終わった後、小坂の妹と八代夫人と魚津の上司の3人が立ち話をしている。この時も、カメラはたとえば、小坂の妹を斜め上から捉えたりしていたが、これからどうするかと上司から訪ねられた八代夫人を一瞬だけカメラは正面から捉えた。八代夫人は、ちょっと町に出ますと言い残して、ここを立ち去る。カメラは、フラフラと雑踏を歩く八代夫人を斜め上から捉えている。映画はこうして終わっていく。
この映画が、基本的に人物を斜めの構図で捉えるのだとしたら、ラストで真正面から撮られた八代夫人の映像はかなり異様だ。これは一体何を意味するのだろう。
物語を検討した際、小坂にせよ魚津にせよ、許されない関係に踏み込もう(つまり不倫)としたために、山(自然)から制裁を受けたのではないかと書いた。許されない関係の相手は八代夫人である。この八代夫人に何も起こらないということはないだろう。少なくとも、カメラはこの八代夫人を放ってはおかない。八代夫人を正面から捉えたとき、カメラはまるで「この事故の原因は全部お前に責任がある!」と夫人を告発しているようだ。つまり夫人を正面から捉えることは、カメラによる夫人への制裁なのではないか。こうして、許されない関係を持つ(あるいは持とうとした)3人全員が制裁を受けることになるのだ。
要するに、この映画は不倫は許さない、不倫をした(しようとした)人間を厳罰に処す、というかなり厳しい物語だと見ることができるのではないだろうか。