川端康成『古都』

川端康成『古都』新潮文庫、1968年8月
あとがきで、川端は本作品を「私の異常な所産」と、少々穏やかならぬ言葉を記している。というのは、『古都』を書き上げた直後、川端は濫用気味に用いていた睡眠薬を、執筆が終わったことでやめたらしい。その影響で、たちまち「激しい禁断症状」に陥り、入院。10日ほど意識不明であったというのだから、驚いた。そんなわけで、川端は、『古都』執筆期間の記憶が多く失われてしまったという。「『古都」になにを書いたかもよくはおぼえていなくて、たしかに思い出せなかった。」それゆえに、本作は「私の異常な所産」だと言うのである。
川端にとっては、「幻」「幻影」のような作品なのだろうか。『古都』執筆中は、睡眠薬を飲み続け、「酔って、うつつなありさま」書いたとあるし、また「眠り薬が書かせたようなものであったろうか」とも記している。幻想は、川端の作品の特徴の一つでもあるが、川端を襲ったこの症状は意味深だ。『古都』の登場人物、苗子は秀男から結婚を申し込まれたとき、千重子に相談するのだが、その際、さかんに「幻」という言葉を言うので、この「あとがき」の作者自身の言葉が妙に引っかかった。
『古都』は、伝統ある京都の風物や季節の移り変わりを背景に、千重子を中心にした人間関係が織りなす物語だ。いろいろな読み方が出来ると思うが、一つの読みとしては千重子の出生を鍵とした千重子のアイデンティティを巡る物語が考えられるであろう。その関連で、私は「離ればなれで育った双子の姉妹が再会を果たす物語」として読んでみた。
千重子は、自分が「捨子」であるという。これは両親から聞かされていたことであったのだが、だからといって両親と千重子の関係がぎくしゃくしていない。というよりむしろ、非常に良好な親子関係である。
ある時、千重子に非常によく似た女性を見かける。それが苗子であり、やがて祇園祭で出会った二人は、もしかすると自分たちが双子の姉妹なのではないかということが判明する。苗子が言うには、苗子の父が双子の一人を捨てたのだという。苗子の父と母(つまり千重子の実の両親でもあるが)はすでに亡くなっており、真相は今となっては分からない。こうして物語は、千重子と苗子の姉妹がどのような関係へ至るのか、ということになるだろう。
千重子と苗子は、その後三度交流する。最初の二回は、人目につかないようにと苗子が住む山へ行く。最後は、千重子の京都の家である。注目すべきは、千重子と苗子が会う時、必ず天候が悪くなることであろう。はじめに、千重子が山に苗子を訪問したときは、激しい雷雨が彼女たちを襲う。苗子は、雷雨から千重子を守るために、千重子の身体を自分の身体を覆う。そして、千重子は苗子はそのお礼を言う。

「苗子さん、ほんまにおおきに。」と重ねて言った。「お母さんのおなかのなかでも、苗子さんに、こないにしてもろてたんやろか。
「そんな、押し合うたり、けり合うたりしてたんと、ちがいまっしゃろか。」
「そうやな。」と、千重子は肉親じみた声で笑った。(p.155)

杉の山中で、激しく降る雨のなか、二人の身体が重なり合う。それはまるで、母親の子宮のなかにいるような光景となる。生れてすぐに離ればなれとなった双子は、こうしてもう一度母胎へと回帰することで、双子という関係をやり直そうとしているのではないだろうか。
千重子の二度目の訪問の際にも、やはり山の天候は崩れる。しかし、ここでは冬の季節を反映して、雨ではなくみぞれにちかいものであった。
三度目は、千重子の住む京都の家に、苗子が訪問する。苗子は、千重子との関係が世間に知られ、それによって千重子に迷惑がかかるのを恐れて、何度も千重子の家に来ることを断っていたが、千重子の「せめて、一夜だけでも、苗子さんと、いっしょに、寝てみます。」という言葉によって、苗子は夜中にこっそりと千重子の家に訪れることになった。
さて、この時に降るのはなにか。「雪」なのである。

千重子は、苗子が耳を澄ますのに、
「しぐれ?みぞれ?みぞれまじりの、しぐれ?」と聞いて、自分も動きをとめた。
「そうかしらん、淡雪やおへんの?」
「雪……?」
「静かどすもん。雪いうほどの、雪やのうて、ほんまに、こまかい淡雪。」
「ふうん。」(p.239)

雨からみぞれへ、そして最後は雪に変化していくところが面白い。季節の変化を現わすと同時に、千重子と苗子の関係の変化すなわち、二人が親密な関係へと変化していくことと重ね合わされている。そして雪が二人を包み込んでいる。物質の想像力から見れば、雨や雪といった「水」が、二人の「身分」の違い*1を溶かし、再び二人を一つの身体へとつなぎ合わせている、と言えるのではないだろうか。

「幻……?」
苗子は美しい顔で、ほほえんだ。かすかな、うれいがあった。
千重子が夜具を敷きかけると、苗子はあわてて、
「千重子さん、一度だけ、千重子さんのお床を、取らさしておくれやす。」
しかし、二つならべた、苗子のお床へ、だまって、もぐってきたのは、千重子であった。
「ああ、苗子さん、あたたかい。」
「やっぱり、働きがちがうのどっしゃろ。住んでるところと……。」
そして苗子は、千重子を、抱きすくめた。(p.240)

京の町に雪といえば、與謝蕪村を思い出す。雪の中に一種の桃源郷を見出す蕪村であるが(参照:芳賀徹『與謝蕪村の小さな世界』)、千重子と苗子にも、雪によって「幻」=桃源郷が現れたのではなかろうか。こうして文学的な伝統を取り入れているところなどは、非常に興味深い。
それにしても、二人が抱き合って眠る場面は、文脈を切り離して、ここだけ読んでみれば、けっこうエロチックではないだろうか。先に、私はこの小説を、双子が再会する物語と述べた。エロスと対になるものとしてはタナトスつまり死がある。と考えると、本作品でタナトスにあたるものは何だろうか?その可能性として、私は千重子の父太吉郎が挙げられると思う。あるいは、京都、正確には「古都」としての京都かもしれない。太吉郎の店は経営が傾きつつあるし、太吉郎自身若い頃からの人嫌いで、現在は厭世的になり隠居めいた生活だ。時流に取り残され、衰退の道へ向かっているようなのだ。
京都の町も、たしかに伝統ある祭や風物が本作品では描かれているが、一方で古いものが消えていき、新しいものが入ってきている。「古都」としての京都の衰退を描いていると言えなくもない。物語は、千重子と苗子のエロスを描きつつ、太吉郎や「古都」のタナトスを挿入している。エロスの物語とタナトスの物語の双子の物語、これがこの小説の構造なのではないだろうか。

古都 (新潮文庫)

古都 (新潮文庫)

*1:苗子が千重子との関係で強く意識していることだ。