貴戸理恵『不登校は終わらない』

貴戸理恵不登校は終わらない 「選択」の物語から<当事者>の語りへ』新曜社、2004年11月
この本について、どのような批判がなされたのか追いかけていないので、詳しいことは全く知らないのだけど、一読した限りではなかなか興味深い本だった。私は「物語」批判の論として、共感できるところがあった。
著者のこだわりは、語りのポジションだ。つまり「誰が」「どの立場」から言葉を物語を語っているのかということを常に問題化する。この点に注目すると、これまで「<当事者>の身になって」と言われて、たしかに<当事者>の語りは注目されてはいたが、語られてきた不登校の問題が、実は「親」や「社会学者」や「「居場所」関係者」による語りばかりだったということに気が付く。まさに不登校を経験をしている/していた<当事者>の語りではなかったのだ。不登校問題の盲点だったのか、著者はうまくこのような隙間を見つけたなと私は感心する。
こうして、著者は<当事者>に聞き取りを行ない、そこから不登校の意味づけが<当事者>によってどのように行われているのか分析していく。もちろん、この方法にも問題点が残り限界もあるのだが、とりあえずの試みとしては理解できる。
思うに、たしかにこれまでの不登校問題の議論に中には<当事者>の語りが、見逃されてきたのだろう。したがって、<当事者>の立場からの問題解決を探ることが急がれる。とは言っても、親の立場からの「物語」、「居場所関係者」の立場からの「物語」などが、完全に無効だとも言い切れないような気がする。その点、著者は<非当事者>のほうにちょっと厳しすぎるような気がした。もちろん、著者は<非当事者>を排除していないことは私は理解しているが。つまり著者は<当事者>による「物語」だけが有効だと言っているわけではないだろう。要するに、一つの「物語」で片づけることはできない、ということが本論の言いたいことだと思う。というわけで、結局は「多様性」がここでも鍵となるわけだ。

不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ

不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ