是枝裕和『誰も知らない』

◆『誰も知らない』監督:是枝裕和/2004年/日本/141分
期待を裏切らない素晴らしい作品。思わず物語に入り込んでしまった。こういう時は、うまく感想が書けない。
是枝監督の作品は、『幻の光』以来なのだけど、非常に丁寧に映像を撮る人だなあという印象。細部を積み上げていくというスタイルでは、最近では『珈琲時光』などがあるのだけど、それとはまたがらっと雰囲気が違っていて、見比べてみるとけっこう面白いかもしれない。両方とも「家族」がテーマになっているので。
私の目に写ったもので覚えているものを列挙してみる。一つは、「階段」だろう。明たちが住んでいるマンションの近くにあると思われる「階段」。この階段を母が最後に家を出て行くとき、明と一緒に上るわけだし、紗希を見かけるのもこの「階段」ではなかったか。仲良くなった紗希を含めた5人で、唯一楽しそうにゲームをしながらこの「階段」を上がるだろう。そもそも、家から出ることを禁じられているので、兄弟全員でこの「階段」を歩くのはとても貴重な出来事なのだ。また弟に八つ当たりしてしまった後も、この「階段」が登場するであろう。明が「階段」を上り下りするシーンがこの映画全編を通じて、嫌が応にも目に入るはずだ。
さて、この映画の中心となるのは、この兄弟が生活する「家」だ。「家」の変化をほんとに丁寧に映像にしている。明以外の兄弟は、この「家」だけが世界なのだ。そして、明は家の外と内を唯一往復できる人物で、それゆえ、「外」=友達を家に連れ込むことができた。が、しかし「内」に「外」を招くことは、「内」の崩壊または腐食を意味するわけで、「家」が「内」から腐っていく様子が痛々しい。とは言うものの、この映画は単純な「内」と「外」の二項対立になっていない。たとえば、紗希をどうするかという問題が残る。ここが難しい。
あくまで私の印象だけど、ラストちかく、トランクを羽田で埋めた朝、太陽が昇るころ、明と紗希が二人並んで橋を歩いている。これが、もし夜であれば、ほとんど『リバーズ・エッジ』の世界だなあと思った。トランクを埋めるのもきちんと水際であるのも興味深い。あれは、きっと世界の果てなんだろうな。ちなみに、この場面でかかる音楽がタテタカコの「宝石」という曲であって、これがほんとに見事なまでに映像にはまっている。深刻な物語を裏切るかのように、限りない「美しさ」に私は感動してしまう。そして明と紗希が無表情で、モノレールに乗っている場面がすばらしい。タテタカコは、じつはこの映画に、コンビニの店員役として出演もしていて、「あの人が、こんな歌を唄うのか…」とちょっとしたギャップに驚いた。
私は、走る映像がけっこう好きなので、そういう映像が出て来るとドキドキしてしまう。本作では、お金がない明たちを見かねて、紗希がいわゆる援助交際で一万円を得て、明にそれを渡すシーンで、受けとることを拒否した明が全速力で町のなかを走る。このシーンも忘れがたい。
「足」とか「手」とか身体の断片のクロースアップが多かったような気がする。特に「足」にカメラを向けていたことに注意したい。妹の「ゆき」の身体全体を写さずに「手」などの断片化した身体に還元してしまうこと。映画とはそういう残酷なものなのだ。映画の残酷さといえば、紗季がこの「家族」に入るには、誰かを排除しなければならない。その時、映画は何をするかといえば、こうした身体を断片にしてしまうのではないか。そうして映画は人を消すのである。これは、「映画」それ自体が持つ「残酷さ」であり、けっして家族やまして子供を捨てた母親の残酷さなのではない。映画の「残酷さ」を、物語の「残酷さ」と混同してはいけないと思う。

そら

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