星野智幸『目覚めよと人魚は歌う』
◆星野智幸『目覚めよと人魚は歌う』新潮文庫、2004年11月
星野智幸の小説を読んだのは、これがはじめてだ。はじめて読んだのが原因なのか、それとも解説で角田光代が書いているように、この小説は読者をどこか「見知らぬ国」を連れ去ってしまうためなのか、なんだかとても不思議な感覚がした。
物語の舞台となる家があるのは、「伊豆箱根鉄道田京駅から歩いて二十分ぐらい」の場所だという。私はこのへんの地理が分からないので、地図を調べてみると、たしかにこの駅は「静岡県田方郡大仁町」にあった。具体的な場所が示されているにも関わらず、日本が舞台だとは感じさせない。「ヒヨ」と「あな」の二人は、丸越が所有し糖子と蜜生の三人で一緒に住んでいる「赤い屋根」の家に、なぜだかなかなかたどり着けないのだ。二人が歩いている場所は、まるで日本ではない異国のように描いている。
こうしてヒヨとあなが逃亡の末にたどり着いた家で、丸越がいう「疑似家族」を経験し、また再びこの家を出て行く物語なのだ。ものすごく単純化すれば、「(異世界に)行って戻ってくる物語」というわけなので、非常に物語論的には定型的な物語だと言えるだろう。その形式が当てはまるのはヒヨである。彼が異世界に紛れ込み、そしてアイデンティティの混乱→回復を経験し、再び「現実」世界へと帰還する物語だと私はひとまず読んでみた。もちろん、これはヒヨという人物から読んだ一つの物語で、人物を変えれば異なる物語を読むことも可能だろう。
また、この小説の特徴は、身体の匂いや粘着質の液体がまとわりつく皮膚の感覚が多用されていて、五感の文学だとも言いたいぐらいだ。私のイメージでは、たとえば村上龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』に近いと思った(自信はないけれど…)。
ヒヨが日系ペルー人という設定も、この小説の特徴だといえる。私は現代文学をたくさん読んでいるわけではないので、他にもあるのかもしれないが、登場人物が日系人という設定は新しいのではないか。また物語では、ヒヨとあなが逃げている原因は日系人と日本人の暴走族の抗争ということになっていて、これも日本の文学では目新しい要素だと思う。
私が、この小説をどこか異国の物語、あるいは未知の物語に感じたのも、上記のような要素が大きいのだろう。「日本」が舞台になっている小説とはいえ、私が当たり前に思っている「日本」と異なる「日本」が小説には現れ、それが私に違和感をもたらす。この違和感がとても重要なのだ。それは、私が内に持つ「日本」というイメージがいかに貧困なものであったかということを教えてくれる。さらさらっと読み終えたにもかかわらず、どこかひっかかりと覚えた。何が引っかかるのか、もう一度読み直してみたいし、星野智幸の他の小説も読んでみたいなとも思った。

- 作者: 星野智幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/10/28
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