運動(変化)を見ること

夏目漱石三四郎岩波文庫
久しぶりに読み返してみる。読み始めたら、意外にさくさくと読めた。昔読んだときは、ところどころつまづきながら読んだ、という記憶があったので、なんだか不思議な読書だった。
言わずと知れた、この小説の主人公は、「田舎」とか「野蛮」などど小説中で形容される熊本から東京に出てきて、最初に驚いたのは、東京という都市の変化の早さであった。古いものが壊されていくと同時に、新しいものが建てられていく。そんな都市の様子を目の当たりにした三四郎は、自分は変化の真只中にいることを意識する。

この激烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していない事になる。洞が峠で昼寐をしたと同然である。それでは今日限り昼寐はやめて、活動の割前が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起る活動を見なければならない地位に置き易えられたというまでで、学生としての生活は以前と変る訳はない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わる事は出来ない。自分の世界と、現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。甚だ不安である。(p.24−25)

しかし、自分がその変化(活動)に加わっていない、いや加わることができないのではないか、という不安を抱いている。都市のあらゆる「活動」から置いて行かれてしまうという不安。三四郎の感じた不安は、近代の不安と言って良い。
この『三四郎』という小説は、三四郎が東京という都市に象徴されるような「活動」つまり、変化という運動を見ることが可能になる眼を持つことができるのか、そして、この運動に触れることができるのかどうか、ということが一つのテーマとなっている。先に答えを言えば、三四郎は結局最後まで「活動」を捉えることができなかったのではないだろうか。
三四郎と対称的な人物が、佐々木与次郎という男である。彼は、広田先生を大学の先生にしようと、いろいろと策を練り、率先して運動したり、他にも様々活動に加わる積極的な人物として描かれている。しかしながら、その言動は少々軽薄で胡散臭いところもあるのだが。
広田先生の引っ越しの場面で、こんな会話が交わされる。みんなで団子坂の菊人形を見に行こうという会話だ。

「まあ、どうかしましょう。――身長ばかり大きくって馬鹿だから実に弱る。あれで団子坂の菊人形が見たいから、連れて行けなんていうんだから」
「連れて行って御上げなさればいいのに。私だって見たいわ」
「じゃ一所に行きましょうか」
「ええ是非。小川さんもいらっしゃい」
「ええ行きましょう」
「佐々木さんも」
「菊人形は御免だ。菊人形を見る位なら活動写真を見に行きます」(p.107)

三四郎は、菊人形を見に行くことを誘われて、即座に「行きましょう」と返事をするのに対し、与次郎は菊人形など見に行くぐらいなら、「活動写真」を見に行くと答える。
当時、つまり明治の40年代あたりだと、まだ「活動写真」は知識人の見に行くものではなかったと思う。庶民の娯楽という面が強かったはずだ。こうしたことから考えて、与次郎のこの「活動写真を見に行きます」という返事は、与次郎という人物の俗物さを現わしているのだろう。しょせん彼は、知識人といった知的エリート階層の人物ではないのだということが分る。三四郎からは「活動写真」なんていう言葉はついぞ聞かれることはないので、二人の関係は非常に対称的なのだ。
三四郎は、画家の原口が美禰子をモデルにして絵を描いているところを訪ねる場面がある。そこで、三四郎は原口に次ぎような質問をする。

「どうも能く分らんですが。一体こうやって、毎日々々描いているのに、描かれる人の眼の表情が何時も変らずにいるものでしょうか」

これに対し、原口はこう答えた。

「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工の方の気分も毎日変るんだから、本当をいうと、肖像画が何枚でも出来上がらなくっちゃならない訳だが、そうは行かない。またたった一枚でかなり纏まったものが出来るから不思議だ。何故といって見給え……」(p.241−242)

ここで、三四郎は「人の眼」が絶えず「変化」すなわち「活動」をしているのではないかという疑問にぶつかる。生きている人間なら当然変化をするだろう。原口の答えは当たり前のものだろう。続いて原口は、三四郎に絵を描いている時の状態を説明している。

「こう遣って毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくする内に、描いている画に一定の気分が出来てくる。だから、たとい外の気分で戸外から帰って来ても、画室へ這入って、画に向いさえすれば、じきに一種の一定の気分になれる。つまり画の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。自然のままに放って置けば色々の刺激え色々の表情になるに極っていんだが、それが実際の画の上へ大した影響を及ばさないのは、ああいう姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、自然に一種一定の表情を引き起こすようになって来て、その習慣が次第に他の表情を圧迫するほど強くなるから、まあ大抵なら、この眼付きをこのままで仕上げて行けば好いんだね。それに表情といったって……」(p.242)

原口は、答えの途中で突然黙り込んでしまう。語り手は「どこか六ずかしい所へ来たと見える」と言うのだが、その困難とは一体何か。
それは、「人の眼」なり「表情」といったものの「変化」そのものを画布の上に描くことの不可能性に原口は気が付いてしまったのではないだろうか。
放っておけば、いろいろな刺激によって、いろいろな「変化」が生じることは分っている。だけど、その「変化」がやがて「一種一定」の「習慣」になり、それを画家は画布に描いているという。自然と「一種一定」になった「表情」や「眼付き」は、他の生じつつある「表情」や「眼付き」を圧迫して画家に見えなくさせてしまうのだ。そうして、画家は困難な「変化」つまり運動というものを見ないで済むようになるだろう。画家は、瞬間瞬間の「変化」を抑圧し、排除することによって、「一定」の「表情」や「眼付き」を獲得するのだ。だが、しかし、それで絶えず「変化」しつつある「現実の世界」に触れることが出来るのだろうか。原口の言い淀みには、絶えず生じている「変化」を捉えることの不可能性に対するためらいが感じられるのである。
「変化」を捉えられないのは、原口一人だけではない。野々宮もそうだろうし、三四郎もまた最終的に「変化」を見逃すことになるのだろう。
それはこういうことだ。すなわち、美禰子の「変化」をこの小説中の男たちは、捉えることが出来なかったということを意味する。最後に、この原口の描いた「森の女」と題する絵を見に行くところで、物語は閉じられるのだが、それは、美禰子の絶えず生じつつある「変化」を排除した絵としてしか彼らは見ることが出来ないのだ。つまり「変化」を捉えるような視線を三四郎が最後まで持つことが出来なかったということを意味している。「変化」を見ることができない三四郎は、「現実の世界」に触れることが出来ずに置いて行かれることになるだろう。上京してきて最初に抱いた不安が、ここで見事に的中してしまうのだった。