ますます書きにくくなる
今、がんばって『凡庸な芸術家の肖像』を読んでいる。内容は、すごく面白くて、はやく全部読みたい、と思うのだけど、その一方で、凡庸な「マクシム」の話を読んでいると、ますます自分の論文が書けそうになくなる。というか、「書く」という行為そのものの自信を失う。要するに、何か気の利いたことを書いたと思うこと自体が「凡庸」にすぎない。「凡庸」というのは、たとえばこの本の主人公である「マクシム」の個人的な資質の問題ではない。それは時代のいや社会の病と言えるものだ。
アドルノに「アウシュヴィッツのあとで詩を書くのは野蛮である」という言葉があるけれど、それをもじって言えば、「マクシム以後、ものを書くということは凡庸なのである」ということだろう。こんな日記を書くこと、これがまさしく「凡庸」のなせる技。ああ、私もあなたも「凡庸」でしかないんだよ、と説得されているような気がする。