誤字・脱字の多さが気になる
◆立岩真也『弱くある自由へ』青土社
なんだか読みにくい本だった。ちょっとがっかり。妙に誤字、脱字が多い気がする。なんでだろう?1、2箇所ぐらいなら、別に取り上げることではないが、けっこうな数が見つかった。もうちょっとチェックすれば良かったのに。
気になった箇所のメモ。
少なくとも基底的なものとしての承認は、このように普遍性に向かう。そしてそれは、その人の個々のあり方や行為の全部を認めるものではない。肯定や承認といった言葉がいかにもあやしいのはそこに無理があるからだ。例えばある種のカウンセリングはなにもかも受け入れるという。あるいは聴くことに徹するという。しかしすべてを肯定すること、受け入れることなどできないし、するべきでもない。むしろ抗弁したり、批判したり、軽蔑したりすればよいのだし、それを控えるのは礼を失しているのかもしれない。(…)繰り返すが、存在の承認が位置する位置が持ち上げられすぎていないかと考えてみる必要がある。(pp.313-314)
分かりにくい、頭に入らないと思い、我慢しながら読み進んできたが、この箇所だけ、なんとなく興味を引かれる。どうして、この箇所が引っかかったのかと言うと、鷲田清一『聴くことの力』などの本をちょっと思い出したので。たしか、「聴くことの力」というのは、他者の声を「聴く」という受動的な態度の力を認める意見だったと思う。それは、他者が語り出すまで辛抱強く待つ、こちらから急かさないということが大切なことではないか、といった感じではなかったか。それは、おそらく他者をすべて肯定することに繋がっていたと思う。確認していないので、もしかすると勘違いしているかもしれない。
勘違いの可能性はとりあえず括弧に入れておいて、この立岩氏の文章は、こうした鷲田氏の「聴くことの力」への批判になる可能性があるのかもしれない。もしかすると、他者をすべて受け入れる必要はないのかもしれない、と思う。このあたりもう一度、二人の本を読み返して確認してみたい。