難しいのはなぜか?

三島由紀夫・東大全共闘『美と共同体と東大闘争』角川文庫
1969年5月13日に三島と東大全共闘との間で行われた対話の記録と、後日に書いたこの時の文章が載せてある。なんだかやけに難しい。学生側の抽象的な言葉を用いたほとんど意味不明な発言を、三島はまじめに受け取るのだからえらいなあと思う。
学生側の言葉は、もちろん当時こうした学生運動内部で流通していた言葉なのだろうと思う。一つ一つの言葉の意味はどうでもいいのかもしれない。言葉を使うこと、このパフォーマンス性が彼らにとって大切だったのだろう。本当に議論をしようとするなら、抽象語、観念語ばかりなのだから、その言葉の指す意味をお互いに詰めていかなければ相互に理解し合うことは不可能だ。だけど、学生側は三島を追いつめることしか考えていない。三島が、まじめに取り合っているのが不思議なくらいだ。三島の言葉のほうがはるかに理解しやすい。
この議論の様子を見ると、当時の学生達には自分を語る言葉が本当はなかったのではないか、と思う。女性側に、自分の内面を語る言葉がなかった、ということが『「彼女たち」の連合赤軍』のモチーフになっていたと思う。しかし、実は男のほうも自分の内面を語れたのかどうか、あやしい。男の言葉は、みな書物の引用や模倣にすぎない。自分たちの身の回りで使われていた言葉を用いているにすぎない。こんな状態で、満足していたのだろうか。きっと満足できない人もいたのだと思う。そういった人たちは、一体どうしていたのだろう?