「安全」についてのメモ

以下、思いついたことのメモ。
六本木の回転ドア事故。責任は製造元とビル側の両方にあることは明白。これは納得できる。
親はどうか。たとえば、きちんと子どもに注意すべきだった、という意見もある。(だからといって親の責任だと批難することはできない。)
たしか、森ビルの社長か誰かの発言で、もう回転ドアは使わない、というものがあったと思う。(←うろ覚え)
今回のような子どもの予期できないような行動に対し、私たちはどうするべきなのか。今後の対策として、危険な回転ドアを使用しないということ。安全の確保のために危険なものは取り除くべきだという流れ。これはどういう事なのか。これは、最近よく耳にする工学的なあるいは技術的な処理、ということなのではないか。使い方によっては、危険だとみなされたものがある。それを安全にするためにどうするか。その時、その安全な使い方を指導するのではなく、危険なものそのものを技術的に排除してしまう。安全とは工学技術の問題であり、もし危険であるとすれば、それは私たちとは関係ない。技術上のミスである。そのミスを修正すれば、安全になる、という思想。たしかに存在してそうだ。
念を押しておく。親が悪い、しつけができていない、ということを私は言いたいのではない。そんなことを問題にしていない。したがって、私は親の批難など一切しない。
この事故の報道には、たしかに安全を単なる技術の問題とする傾向があるのではないか、ということが見いだせる。このことを今後のためにメモしておく。