安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』

安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』平凡社
民衆がいかにして改革の「主体」になるのか、ということがテーマだろうか。上からではなく、下からつくる歴史。たとえば、こんな感じ。

本稿は、近世中後期以降という特殊の一時代において、勤勉、倹約、和合等々がことさらに“問題的なもの”として広汎な民衆に取り上げられたことの意味を問うているのである。(p.52)

したがって、たとえ倹約や勤勉といった一見通俗的な徳目であっても、それによって「自己形成」「自己鍛錬」ということが広汎な人々のなかに課題として生じることになる。そして、民衆が強靱な「自己鍛錬」に支えられるようになってはじめて、社会批判が「はげしさ」「鋭さ」「持続性」「組織性」などを獲得するようになるという。(p.91)
ヴェーバーの研究とかフーコーの研究とか、思い出しながら読んでいた。トムスン『イングランド労働者階級の形成』ともある意味似ている研究なのかもしれない。こうした民衆史の研究が現れたのは、やはり丸山真男あたりへの批判としてだという。この辺りは日本の「近代」とは何だったのかそれを支える「主体」とは?、ということを考える時に必要だと思うので覚えておこう。

それから、重要だと思った一節は、

民族的生活習慣の克服――あらたな生活規範の樹立がいつ進展するかは、階層や地域によって異なっていた。(p.49)

という箇所。当たり前のような指摘であるが、しばしば忘れられやすいことだと思う。新たな規範が現れると、それがあたかも瞬時に日本全国に行き渡ったと思うのは誤りだ。温度差、時間差などをしっかりと考えるべきだ。日本といっても均質ではない、というのは今では必ず指摘されることでもある。
もう一つ興味を引いた箇所がある。近世後期あたりから、若者宿、娘宿といった若者の制度が衰退しはじめたというのは民俗学で明らかだとあって、それによって婚姻制にも変化が起きたという。どんな変化なのかというと、

これまでの若者組・娘組に媒介された青年男女の相対的に自由な結婚はすたれ、仲人が重要な役割をはたす「家」と「家」との家父長権に支配された結婚へと転換していった。(p.45)

そしてこうした村内婚のもとでは、相互に全人格的に熟知しあった男女による相対的に自由な選択が可能だった。ヨバイは、こうした男女の自由で健全で人間的な男女交際の形態だった。(p.45)

「恋愛」の研究で言われているように、近代になると家父長権に支配された結婚に抵抗する動きがあって、したがって自由恋愛・自由結婚が近代では理想とされる、という考えが私の中にあった。なので、若者組などが機能していた時代では、相対的だが自由な結婚をしていたと知ってちょっと驚いた。これは面白い。これも覚えておこう。